カナダ生まれのスノーブーツブランド、ソレルにまつわる話
ソレル(SOREL)は有名なスノーブーツブランドで、だいぶ前に日本でも流行っていた時期がありました。カナダの冬を越せるほどの性能なので、日本のほとんどの地域ではオーバースペック(重くて暑い)だったんじゃないかな…。
ソレルがカナダ生まれと知って調べている途中で、興味深い点がいくつかあったのでご紹介します。
ソレルはカナダ生まれ
1908年、オンタリオ州ベルリン(現在のキッチナー)でカウフマン・ラバー社が創立されました(1964年にカウフマン・フットウェア社へ社名変更)。
同社は1962年、スノーブーツのソレルブランドを発表します。
創業の地はかつてベルリンと呼ばれていた
ソレルが誕生したキッチナーは、トロントから100kmほど西にある街です。
もともとドイツ系住民が多かったため、プロイセン王国とドイツ帝国の首都ベルリンにちなみ、1854年から1916年までは「ベルリン」と呼ばれていました。カウフマン・ラバー社を創業したジェイコブ・カウフマンとその息子アルヴィン・ラッツ・カウフマンもドイツ系カナダ人です。
しかし、第1次世界大戦の勃発によりカナダ国内で反ドイツ感情が高まり、改名論争が起こります。1916年の住民投票の結果、イギリス陸軍元帥ホレイショ・ハーバート・キッチナーにちなみ、ベルリンからキッチナーへと改称しました。
街の名称変更の経緯について詳しく知りたい方はこちらのページをご参照ください。
2代目社長が男性従業員1000人に不妊手術を受けさせる
創業者の一人アルヴィン・ラッツ・カウフマンは、避妊が合法化される以前から避妊薬の販売と流通の支援事業を行い、カナダにおける避妊の普及活動において重要な役割を果たしました(避妊が完全に合法化されたのは1969年)。
また、キッチナーの公共事業と福祉のために多大な貢献と寄付をした慈善活動家でもあります。
一方で、優生主義者でもあり、優秀な人間が人口を管理すべきという思想の持ち主でした。
1930年代に大恐慌が起こると、過剰な数の子どもを持つことで経済的負担が増大するという考えのもと、経済的困窮の解決策として不妊手術を提案。
1977年のインタビューでは、1930年から1969年の間に、自社工場の男性従業員1000人に不妊手術を受けさせた、と述べています。大恐慌の間、雇用継続の条件として不妊手術を受けさせていた、と推測されています(参照元はこちら)。
余談ですが、以前の記事で、第二次世界大戦をきっかけとした、日系カナダ人に対する迫害について書きました。
ドイツも同じくカナダの敵対国となったにも関わらず、ドイツ系カナダ人であるアルヴィン・ラッツ・カウフマンは実業家として成功しており、財産もコミュニティもすべて奪われた日系カナダ人との対比がはっきりと浮かび上がります。
ソレルはもはやカナダのブランドではない
のちにカウフマン・フットウェア社は靴の生産拠点をケベックに移し、スノーブーツ以外にも様々な靴を生産していましたが、経営状態が悪化し2000年に破産を宣言。
ソレルの商標はアメリカのアウトドアブランド、コロンビア・スポーツウェアによって買収されました。
というわけで、ソレルはカナダで誕生しましたが、21年前からカナダのブランドではないようです。