じゃがいもヨーグルト

2016年夫がドイツの会社に転職。2019年転勤のためカナダへ引っ越しました。ほぼ月一更新。

トロントに桜が植えられた経緯と、第二次世界大戦での日系カナダ人の迫害

ドイツのベルリンでは毎年春に桜が楽しめましたが、カナダのトロントにも桜が群生している場所が何箇所かあります。

ベルリンの桜は、1989年のベルリンの壁崩壊後、テレビ朝日のキャンペーンによって日本から苗木が約1万本送られ、主に壁の跡地に植樹されたものでした。

トロントの桜はどういった経緯で植えられたのか気になって調べてみました。

 

 

 

トロントに桜が植えられた経緯

1959年 戦後日系カナダ人を受け入れたトロント市民への感謝として、東京都が寄贈

トロントの桜の名所の1つであるハイ・パークのサイトによると、1959年に当時の駐カナダ日本大使が東京都民に代わり、第二次世界対戦後の日系カナダ人難民を支援したトロント市民への感謝を込めて2000本のソメイヨシノを寄贈した、とあります。これがトロントにまとまった数の桜が植えられた最初のケースのようです。

 

2000〜2012年 日本領事館が中心となった桜プロジェクト

その後2000年から、在トロント日本総領事館が中心となり、日本とカナダの友好親善を象徴して、桜を植樹するプロジェクトが始まりました。2012年までの12年間で、トロント含むオンタリオ州の各地に3000本以上の桜が植えられたそうです。

桜プロジェクトについて詳しくは下記のリンク先をご参照ください。

www.toronto.ca.emb-japan.go.jp

www.mofa.go.jp

 

 

トロントが「戦後日系カナダ人を受け入れた」とはどういうことか?

さて、先ほど書いた、最初の桜が寄贈された理由ですが、トロント市民が「戦後日系カナダ人を受け入れた」とはどういう意味なのでしょうか。

※以下はネットで調べた内容をざっくりまとめたものなので、間違いがあるかもしれません。

 

第二次世界大戦中、カナダ政府は日系人を迫害

1941年12月、日本軍が真珠湾を攻撃しアメリカ・イギリスに宣戦布告したため、カナダは英連邦の一員として日本と敵対しました。

当時カナダに住んでいた日系人は25,000人弱。そのうち、4人に3人はカナダ市民(カナダ生まれ、もしくは帰化した人)であるにも関わらず、財産を没収の上、家族はバラバラにされ、労働者として農場もしくは捕虜として強制収容所に送られ過酷な生活を強いられました。

これは、「敵対国だから憎かった」というより、当時カナダには日本人含むアジア系移民に対する強い差別感情がすでにあり、戦争を迫害の口実にした側面があるようです。

詳しくは下記のリンク先をご参照ください。

en.wikipedia.org

najc.ca

 

終戦後も迫害を継続

東部への移住か日本への追放か、選択を強要

1945年の終戦後も日系人への差別と迫害は続きました。

戦前、日系人の90%以上は西海岸に住んでいましたが、カナダ政府はロッキー山脈よりも東部の地域へ移動するか、日本への強制「送還」か、(新しく法律を作って合法的に)選択を迫りました。75%がカナダ市民であるにも関わらず、日系人は財産を奪われ、家族とも離散させられた状態のまま、住み慣れた土地すら追われることになったのです。

 

大多数が東部への移住を選択、その多くがトロントへ

戦後ほとんどの日系人は国内移住を選び(約2万人)、そのうちの多くはトロントに移動しました。トロントの日系カナダ人は、戦前の1941年には6組の家族しか住んでいませんでしたが、1947年には5,000人まで増加していたそうです。

また、1950年代と1970代には、トロント周辺の大都市圏でもカナダ西部から移住してきた日本人を受け入れたそうです。参照元はコチラ

 

また1947年にはトロントで全カナダ日系人協会が設立され、日系カナダ人への戦時補償を認めさせる活動を始めます。

実際トロント市民がどのように日系カナダ人を受け入れ支援したのかなどについてネットでは記述を見つけられませんでした。差別感情が急になくなるものでもないと思うのですが、少なくとも数の上ではたしかに「受け入れた」と言えるでしょう。

 

日系カナダ人の権利の回復と和解

その後の日系カナダ人の権利が回復していく過程を年表で簡単に記載します。

1947年 様々な批判・抗議を受け、日本へ強制「送還」できる法律が取り消される

1948年 選挙権の付与

1949年 全ての市民的権利及びカナダ全土の移動の自由を獲得(このときまで西海岸に移動できなかった)

1950年 日本に強制送還された日本人も再びカナダに移民できるようになる

1959年 東京都からトロント市へ桜の寄贈

1988年 カナダ政府による謝罪と、生き残っている抑留者個人への戦時補償の決定

 

 

なーんか腑に落ちない

ベルリンの壁の跡地に桜を植えるというのも奇妙でしたが、1959年に「戦後日系カナダ人を受け入れたトロント市民への感謝」としてトロントに桜を寄贈したことも腑に落ちませんでした。

 

日系人の苦難を口実にしていますが、直接彼らを助けてあげた方がよほど有用で人道的です。

当時終戦から15年経ち、日本はすでに「もはや戦後ではない」レベルまで経済復興していました。一方、日系カナダ人はカナダ人としての市民的権利は獲得したものの、1988年まで戦時補償もなく、カナダ政府に対して抗議活動を続けていました。

困難に直面している本人たちを脇に置いて桜を贈るという自己満足のパフォーマンスは、被災地に千羽鶴を贈るメンタリティに通じるものを感じます。

 

 

と言いつつ、そのおかげで日本に気軽に帰れない中でも桜が見られるので、個人的にはありがたく思っています。

例年5月上旬には満開を迎えるので、今から楽しみです。

 

 

 

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